更新滞りますね。

あ、yasutomoさん、ご苦労様です。

blog、あんまり僕ばかり書くのもどうかとは思うんだけど、
でも、ひょっとしたら見てくれている人がいるかも知れないので書いてみます。


先日とある講義である先生が、君たちはクリエイティブなことをする能力を磨かねばならない、というような事をおっしゃっていました。

以下簡単にまとめると、


君たちはたくさんいろんなものをインプットする訓練を受けてきたわけで、そっちのほうではかなり一流なんだから、今度はそっから新しい何かをアウトプットしなきゃいけない。
たとえば僕なんかは、一日に20個くらい新しいアイディアが浮かんで、その度に二、三秒、とってもうれしい気分になる。自分すげーな、と。
もちろんそのすぐ後にたいしたことないと気づくんだけど。
けれどもたくさん数打っていれば、一個くらいほんとによさそうなアイディアにあたる。で、そういうのが論文になるのだ。
ちなみに、たとえば僕は本なんか書いてみると、書き終わった後2、3ヶ月とっても幸せな気分になる。じぶん、すごい仕事したなぁと。
だから君らも、何か新しいアイディアを生み出し捕まえる訓練をしなさい。


と、たぶんこのようなことをおっしゃっていました。
この先生はとても雑談が面白い人で、たぶんとってもいい先生なのですが、この後に彼が話したことが結構印象深かったのです。


クリエイティブなことをするのに大事なことは、出てきたアイディアを書き留めることです。
それをしなければ、あーおれ今いいこと考え付いたのに、何だっけなぁ、おもいだせないなぁ、で終わってしまいます。
たとえば、安部公房という作家がいましたが、彼のすごいところはこれをきちんと実行に移していたことです。有名な話かも知れませんが、彼の枕元には必ずノートとペンが用意してあって、夢うつつ(レム睡眠)のときに、はっ、と浮かんだアイディアをすぐに書とめ、それからまたばっと寝る、ようなことをしていたようなのです。
だからこそ彼はあれだけ、独創的なものをかけたのです。


僕が、この一連の話で示唆的だな、と思ったのことが二つあります。
一つは出てくるアイディアのほとんどは駄目なものであると。
もう一つは、クリエイティビティは才能だけではない。(だって夢なら誰でもみるでしょ)


一点目に関して言えることは、われら凡人はたとえアイディアを生み出しても、それがたいしたものでないと、自分には才能がないんだ、と決め付け簡単にあきらめてしまいまいますが、世に出てきた「完成された」作品は、ある種の淘汰を超えて生き延びてきたはずで、はじめからその域を目指すのは無理な話であると。
むしろ必要とされるのは、自分の失敗作と向き合うこと。駄目な自分を見るのに慣れてしまうこと。
それは、かなりしんどいことですが、世の天才たちは、それがきっと気持ちよかったに違いありません。


二点目は、そのまんまです。クリエイティビティとは、たぶん八割がた鍛錬によって得る技術的な能力だと思われます。
人は、みな才能にあふれている。
しかし、社会という物の仕組みは、その個々の才能を押さえつけるようなシステムになっている。(たぶんこういうシステムはなんらかの理由で必要なのでしょう)
ですから、クリエイティブな人間になりたければ、自分の体から出てる微弱なクリエイティブのパルスを、理性的な手段によって増幅し記録しなければならない。
そして、これはもっぱら技術的な問題に違いない。


ということで、このブログ、あんまり更新されることがないので、これから毎日僕の夢日記をつけることにします。
それが嫌なら、他のひとちゃんとかいてよね。
(goto)