コテギ定演

gotoです。オーディションはどうだったのでしょうか。
京大ギター部では演奏会に向けての試演会をオーディションと呼んでいます。
実際に、演奏会への出演希望者が多い場合はオーディションが行われるのですが、近年、そういうことはあまりなく、実質試演会になっています。

さて、今日はそのオーディションをお休みして(ゴメンよ)、コテギ(東京大学東京女子大学古典ギター愛好会)の定期演奏会に言ってきました。
詳しいことは、また後日書きたいと思うのですが、今は記憶が鮮やかなうちに何か少しでも書き残しておこうと思って書いています。
眠いのですぐねますが。

とにかく、コテギの演奏会はすばらしかったです。
こんなに素直にいい、と思ったから、素直に良かった、と奏者に伝えられた演奏会は未だかつて無かった。
こんなに演奏会後の、達成感、とか、熱気を感じられた演奏会を見たのも初めてだった。

彼らの演奏会をみて、僕はやっぱりこんな存在の充実感に満たされるような瞬間を求めて生きていきたいな、と思った。今日に限っていえば、僕は自分の言葉に対して過度な不安をもつ必要が無かった。ぼくはほんとうに彼らの演奏が素晴しいと思ったから、それをそのまま伝えればよいだけであって、そこには自分の感情に対する漠然とした確信があった。

印象的だったのは、何人かの(今日とても素晴しい演奏をした)友人達の、あんまりどんな演奏をしたのか覚えていない、という言葉だった。
なんかとても大切な言葉のような気がした。この言葉がいったいどんなことを意味するのか僕にはよくわからないけど、なにか記述可能な良さがあって、そこから論理的に導き出されるよさ、と言うのではなくて、漠然と演奏後に残った、やりつくした実感、のようなものを意味しているのじゃないかと、勝手に想像した。わからないけど。

彼らの演奏が聴けて嬉しかった。合奏だけは、自分はこんなに素晴しい完成度に持っていけ無いだろうと不安になって、嫉妬して、今一没入できなかったけど、最後の二回生合奏の奏者の楽しそうな表情をみて、なんだかやはり嬉しくなった。

僕は、自分の出来ないようなことを出来る人をみると、嫉妬してしまうような人間です。
でも今日はそういうのがなかった。(合奏は危なかったけど)単純に心動かされて、感動して、そんな体験が出来たことが嬉しかった。
はじめ、京都から1人来ているわけで、完全にアウェイでなんだかやだな、とかいろんなことを考えて凄く窮屈だったけど、演奏会後はもう殆どアウェイなんかじゃなかった。

ほんと行ってよかった。京大の定演も頑張ろう。
みんなで打ちあがれるような演奏会にしよう。

僕は今のこのポジティブな気持ちを大切にしたい。だから今書く。まよっても戻ってこられるように。

それではまた。

おやすみ。